例のガケ
大空あかりはどうして星宮いちごを追い越せたのか
「それにしても大空の奴、よくいちごに勝てたよな」
「そうよね……。でも、私は、何となく、こうなるんじゃないかと思ってた」
「なんでまた。いくら大空がスターライトクイーンになったからって、実力的にはまだまだいちごのほうが上だろ」
「そう。だから私もね、このままだと勝負にならないと思って、いちごに『20kgくらいの重りを着けてハンデをあげたら?』って言ったのよ」
「じゃあ、いちごはその状態で?」
「ううん……。いちごは『大丈夫、この種目なら、ハンデなしでも案外いい勝負になるんじゃないかな、フフッヒ』って」
「じゃあ、ハンデなしで大空はいちごを追い抜いたのか」
「ええ。……それでね、いちごのその言葉を聞いた後、ちょっと思い当たるフシがあったから、あかりちゃんのことを調べてみたの」
「あおいさんお得意の、ヒミツの情報網ですか」
「ふふ……。でね、調べてみて分かったんだけど、ガケの下まで到達する前に、あかりちゃんを大きく引き離せなかった時点で、もうこれは、いちごに勝ち目はないのよ」
「……どういうことだ?」
「それはね、いちごとあかりちゃんでは、ガケを登っている回数が全然違うのよ」
「え?」
「今では『星宮いちごといえばガケ』みたいな言われ方をしてるでしょ。でも、実際には、いちごはそんなにガケを登っていたわけでもないの」
「そういわれてみれば……」
「……いちごはね、初めてのプレミアムドレスを得るためにエンジェリーマウンテンのあのガケを登った。そういう場所だから、いちごとしても、あのガケや、あるいは、ガケ登りそのものにも思い入れがあるとは思うのよ」
「うん。アイドルとしては変な話だけどな」
「でもね……。結局、いちごにとっては、あのガケは、もう乗り越えてしまった障害の一つを象徴するものでしかない、という見方もできるのよね」
「ああ」
「一方のあかりちゃん、というか、これはあかりちゃんに限らず今の中等部くらいの子たち全般に言えることなんだけど、彼女たちにとって『いちごがガケを乗り越えた』というエピソードは、もう伝説なの。そのカワイイ後輩ちゃんたちの中でも、特にいちごへの思い入れの強いあかりちゃんにとっては、このガケというのは、アイドル大空あかりが、アイドル星宮いちごを乗り越えるための高い壁の一つとして見えていても不思議ではない……というわけね」
「なるほど」
「そんなわけで、あかりちゃんは、ことあるごとに、学園の近所のガケや、このエンジェリーマウンテンのガケ、ドリーミーロッジの裏にあるガケなんかを登り尽くしているのよ。えーと、アイカツフォンアイカツフォンっと……ねえ、これを見て。これは去年のあかりちゃんのスケジュールの履歴なんだけど……」
「……うわ、毎オフにこのガケに来て練習してたのか」
「そうなの。……でも、結局ね、あかりちゃんがこのガケを何度登ったところで、そのままでいちごを超えることはできないでしょ。いちごとガケ登りで競争することなんてないんだから。……普通はね」
「その、普通じゃないことを今まさにやってたけどな」
「ええ。でね、そういう状況だと、何度やっても本人としても満足するってことにはならないでしょう?」
「だから、何度も何度も繰り返しガケを登っていた、という訳か。……そうか、それで!」
「そう。いくらいちごが天才的な運動神経の持ち主だからといっても、日常的にガケ登りをしてきたあかりちゃんには、場数という点で、どうやっても敵わないのよ」
「いちごは、それを知ってたのか?」
「うーん、どうかな、いちごはそうやって理詰めで考えるタイプじゃないし、何か根拠があっていい勝負になると予想したんじゃなくて、いちご特有の直感かもしれないわね」
「あおいー、蘭ー、ただいまー」
「お、ちょうどいちごが戻ってきたぞ」
「いちごー、おつかれー。ちょっと質問してもいいかな?」
「なに、あおい?」
「この勝負の前、いちごは、ハンデなしでもいい勝負になりそうって言ってたわよね。それはどういう理由なの?」
「うーん、そうだなあ……。あ、思い出した。あのね、スターライトクイーンカップの表彰式で、私があかりちゃんにスターライトティアラをつけてあげたでしょ?」
「うんうん。それで?」
「で、何か、あかりちゃんの目の前に立ったら『かわいいなあ、なんか甘いいい匂いするし』って思っちゃって」
「その匂いが理由?」
「ううん、そうじゃないんだけど、あかりちゃんね、ステージに上る前に四ツ葉さんのスタードーナッツを食べたらしくて、その匂いが残ってたみたいなんだけどね、おいしいよね、スタードーナッツ」
「……いちご、ちょっと話が見えてこないぞ」
「ああそうだった、それでね、思わず抱きついちゃったの」
「そういえば、ステージであかりちゃんに抱きついてたわね」
「あれは祝福とか労いじゃなくて、思わず抱きついちゃってたのかよ」
「うんまあ、ちょっと我慢できなくなっちゃってね。それでね、あかりちゃんに抱きついてみて気づいたんだけど……」
「うん」
「あかりちゃん、肩や腕、腰周りなんかにね、すごくしっかりとした、それでいて、しなやかな筋肉が付いてたの。これだと、体力勝負では、ひょっとしたら私でも勝てないかもしれないなー、って思ったんだ」
「なるほど」
「確かに、体重もあかりちゃんの方が軽いわけだし、いちごとしては、ガケ登りの前に、もっと引き離しておかないと、勝ち目はなかったわよね」
「そうそう」
「それにしても、あの大空がなあ……そういえば、いちごはどんなプレゼントを用意してたんだ?」
「あ、私もそれ知りたい」
「それがね、実は……全然考えてなかったの」
「なんていい加減な……」
「でね、あかりちゃんに何が欲しいか聞いたんだけど」
……………
「うわ、何それ、全くもって穏やかじゃない!」
「で、いちごはそれを受けたのか?」
…………
「ええ、プロデュースは任せといて」
「そして蘭には……」
「分かってる、もちろん、あたしが衣装だな」
………
……
…