いちご、結婚するってよ ~ エピローグ
いちごの居ない30回目の朝
「いちご、ほら、早く起きないと遅刻するよ」
「んー、あと5分……」
布団に潜って出てこない。
「ダメだって。今日は織姫学園長が大事な発表をするから、朝一番で講堂に集合しないと、でしょ」
「んー、でも、あおいだって、もうちょっと寝ていたいんじゃない?昨日遅くまで仕事だったんだから」
「だーめ。ほら、起きなさい!」
掛け布団をひっぺがす。
……ベッドの上には誰もいなかった。確かにいちごが寝ていたはずなのに……。
「ほら、あおい、早くしないと置いてくよ」
振り向くと、既に制服に着替えたいちごが、扉の前に立っていた。
「ま、待って、いま着替えるから」
「じゃあ、私、先に行ってるね」
「え、ちょっといちご……」
「じゃあね、あおい」
「待ってよ、ねえ、いちご、いちごぉぉぉ」
……
(ガバッ)
……夢……か……。
2
いちごが結婚するというニュースは、公表とともに瞬く間に世界中を駆け巡り、大きな話題となった。当初心配していたようなネガティブな反応はほとんど無く、世間はいちごの結婚を歓迎してくれた。それからの数ヶ月間を、私たちは目の回るような忙しさの中で過ごした。すべては、《大スター宮結婚記念ライブ》の準備のためだった。
そして、当日。いちごに縁のあるアイドルたちが久々に一同に会し、歌あり、ダンスあり、ドラマありの盛りだくさんのステージになった。そして、アンコールは、私たちソレイユの三人がウェディングドレスを着て歌った《カレンダーガール》。蘭は、
「結婚もしないのにウェディングドレスを着ると、行き遅れるって言うよな……」
と、ちょっと渋っていたけれど。でも、三人で着たかったんだもの……私が。プロデューサー権限でそこは押し通してしまった。……ともあれ、《大スター宮結婚記念ライブ》は大成功のうちに終わった。
その翌日、教会で正式な結婚式を挙げたいちごは、新郎と一緒に世界一周の新婚旅行へと出発したのだった。
3
それから一ヶ月。私たちも少し休暇モードのようになって、仕事の数を抑えていたが、さりとて完全なオフともいかず、昨日は夜遅くまでドラマの撮影があった。予定では、今日の朝、いちごは帰国することになっている。……でも、もうこの家には帰ってこない。
「10時か……」
今日の仕事は夕方からなので、もうちょっとゆっくり寝ていても良かったのだけれども、へんてこな夢を見たせいですっかり目が覚めてしまった。この期に及んでスターライト学園の頃の姿をした私たちの夢を見るなんて……。蘭の前で醜態を晒したことで吹っ切れたと思っていたのに、ダメだな、私。
いちごが結婚するということになって、懸案の一つとなったのが、この家の扱いだった。もともとこのマンションの一室は、三人で暮らすにも若干広めだったのだけれども、それが二人になっても大差ないだろうということで、そのまま蘭と二人で暮らすことになった。何よりも、ただでさえ忙しい二人が、あの目まぐるしいライブの準備の中、引っ越しを考える余裕も無かったし。同様の理由で、いちごの寝室も、当面はそのまま残すことになった。
4
(じゅーーーー……)
そんなことを回想していたら、どこからか、何かを焼いている音が聞こえてきた。次第に、ベーコンの焼け焦げる香ばしい良い匂いが、扉の隙間から漂ってきた。どうやら、蘭が朝食の準備でもしているみたいだ。私も起きるか。
(がちゃっ)
「蘭、おはよう。今日って朝早いんじゃなかったっけ?」
「おはよう、あおい。フフッヒ」
「フフッヒって……いちごーーー!?どうしたの、何でいちごがここにいるのよ!?」
「帰ってきたなう。ただいま、あおい」
「おかえり……って、そうじゃないでしょ。どうしてここに帰ってきてるのよ」
「それがね、さっき彼と一緒に空港に着いたんだけど、そうしたら、そこでうちのパパが二人分のトランクを抱えて待っててね。……急な仕事が入ったからって、彼と一緒に二人で、そのままアフリカ行きの飛行機に乗って、飛んでっちゃったんだ」
そう話しつつも、いちごは目を一瞬たりともフライパンから離すことなく、てきぱきと卵をボールに割り入れては、それを灼熱のベーコン大地の上へと広げていく。
「飛んでっちゃったんだ……って……」
いちごの結婚相手は、いちごのお父さん、つまり星宮太一さんの部下にあたる人だ。その縁で知り合いとなり、半年で婚約、一年で結婚という訳。
「今回の仕事も長いらしくて、一ヶ月以上帰ってこないらしいんだ。パパったら『すまんいちご、新婚なのに旦那をちょっと借りていくけど許してくれ』って」
「はあ……」
卵を4つほどフライパンに放り込んだ後、蓋をして、やっといちごは私の方に視線を移す。
「それでね、どうせ新居の方に戻っても一人で寂しいし、実家の方は、らいちのアイドルコレクションがいっぱいで私の居場所がないから、彼が仕事の都合で長期不在の時はこの家に戻ってくることにするって、蘭に言っておいたんだけど、あおい、聞いてない?」
「えっ?全然聞いてないよ……」
「おっかしいなあ、蘭ったら、いつもは見せないようないい笑顔で『じゃあ、あおいにはあたしから言っておくよ。二人とも忙しいからほとんど話してる時間ないだろ』って言ってたのに」
……さては蘭め、この状況を予測して、あえて黙っていたな。
「でも、いいの、いちご?結婚してすぐに離ればなれなんて、ちょっとひどくない?」
「んー……。ほら、うちって、パパがもともとそういう感じでずっと家を空けてたでしょ?でも、パパが戻ってくれば、パパもママも幸せそうだったし、私もずっと、そういうもんかなーって思ってたから、私にとってはむしろそれが普通の幸せな夫婦の形なのかも、って思うんだ」
「そっか。……まあ、夫婦の形なんて人それぞれかもしれないわね」
「うんうん、これもまた結婚生活だね。……さてと、そろそろいいかな」
フライパンの蓋を取ると、もわっと湯気が上がって、その奥から半熟に焼きあがった目玉焼きが姿を現した。同時に、トースターから二つの食パンが頭を見せる。
「あおい、パンのほうをお願い」
「オーケー」
一枚ずつ取り出してはバターを塗ってバスケットに乗せてゆく。そうしているうちに、いちごは目玉焼きを二等分にしてお皿に盛り付けていた。
「朝からずっと何も食べてなくてさ、もうお腹ペコペコ」
例のダイニングテーブルに向かい合わせで座る私たち。
「というわけで、改めて、ただいま、あおい。これからもよろしくね」
……
「……って、あおい、泣いてるの?何で?」
「……だってさ、手のかかる子供がやっと結婚して巣立っていったと思ってたのに、すぐに出戻ってきちゃったら、もう泣くしかないじゃない」
精一杯、笑顔を作って、そんな憎まれ口を叩いてみる。
「もう、あおいったらひどいなあ。出戻りじゃないし。さあ、冷める前に食べちゃおうよ」
「うん。……おかえり、いちご」
「……ただいま」